Hは一転して業績不振に陥る。
かつての昭和朗年の経営危機に比べれば、Hには十分な蓄えがあった。
資金繰りは当時ほど追い詰められた状況ではない。
しかし、この危機は、人間にたとえれば成人病社内から清新の気風は消え、Hらしい車が出てこなくなったとファンが嘆くようになった。
S氏は帥歳を超え脳血栓で倒れるなど、最晩年を迎えていたが、メディアが伝えるHの危機の報道には気づいていた。
経営を委ねきっていたH氏は既にいない。
S氏は直弟子のK喜好氏の顔を覗きこむようにして聞いた。
「おらんちは、今どうなってるんだ?」こうなると、K氏もいつまでもK氏に社長を委ねているわけにもいかない。
このときK氏は、側近に「オレがもう一度やったほうがマシかもしれん」とまで言ったという。
アメリカ人を驚かせた工場運営。
候補者は2人に絞られていた。
1人はNS氏である。
H技術研究所の出身であるが、鈴鹿製作所の所長に転じてからは、むしろ製造現場に精通する「モノづくり」のプロとなった。
毎朝6時前に工場に入り、分からないことを素直に聞いてまわった。
猛烈な勉強ぶりで工場の従業員の間でも有名になっていた。
胡歳で取締役に就任したことでマスコミにも早くから知られ、将来を注目されていた人であった。
Hは、N氏に業界の先頭を切ってアメリカ、オハイオでの現地生産工場の成功を託した。
米国製造会社HAM(H・オブ・アメリカ・マーーュファクチャリング)の社長となった。
N氏の行動は、どこかアメリカナイズされた明るさがある。
それでいて現場最優先の思想は当時のアメリカでは珍しかった。
N氏はことあるごとにこう言った。
「私は決してここのボスではない。
我々のボスは、我々の作った車を買って乗ってくれるお客さんなんだと思う。
だから私を社長などと考えず、単なる「イリマジリ」、言いにくければ「イリ」とでも呼んでくれ。
オハイオでのN氏の評判は上々だった。
いつの間にかHAMではN氏を「ミスター・イリ」と呼だ。
その好感ぶりは、アメリカ人ジャーナリストのR・L・シュック氏による次の一文からも十分にみれる。
40代前半に見える、すっきりした顔立ちの細身の男が、自動車工場の中をきびきびした足どりで会議の開かれる場所へ歩いて行く。
彼は先を急いでいるのだが、ごみひとつないフロアに見つけた紙きれを拾う時間は惜しまない。
白い制服と緑と白のH・キャップを身につけたその男は、紙きれを近くのごみ箱に捨てる。
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